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現代医療で治らない病気は無い。
身体的なものはもちろん、精神的なものまでほぼ100に近い確率で治療できる。
ただそれはお世辞にも健康的ではなく、薬やら何やらで無理矢理完治させるらしい。
果たしてそれが良いことなのか悪いことなのか――少なくとも今入院中の僕にとっては良いことなんだろう。
凛花と話が出来るのもあと片手で数えられるくらいの日数。
凛花と別れる日が近付くにつれ、形容しがたい感覚が湧く時間が増えた。
なぜあんな風に振舞えるのか。
本当の目的は分からないが、彼女についての事実は彼女の口から聞くことが出来た。
知ってしばらくは特に考えることも無かったが、彼女を知るにつれ、彼女と話す時間が増えるにつれ僕は本当にこれでいいのか、思い悩む。
―――コンコン
このドアを叩く音を聞くことももう残り少ない。
凛花がここに顔を出すようになって少しした頃から、毎日この時間、ドアが叩かれるのを楽しみにしていたのが昔のようにさえ思える。
「おはよう。はい、いつものお見舞い。今日はいつもにまして何か考え事してるね?」
―――アイスココアなんて珍しい。ありがと。考え事もするさ、一応人間だし。
「それもそうだね。季節も移ろってきたね。外の景色、綺麗だね」
―――だな。少しずつだけど、季節も移ろいでるから。
アイスココアを僕の脇のテーブルに置き、凛花は窓のほうへ歩いてゆく。
珍しいというか、初めてのことかもしれない。
そういえば凛花との会話は、殆どが僕の話で外の話は全く触れていなかった気がする。
―――珍しいね、凛花がそういう話を自分からするなんて。
「そう、だね。たまにはいいんじゃないかな。ここから見る景色もあと少しだし、さ」
―――そう、だな。
言葉がそれ以上出てこなかった。
かけるべき言葉、かけたら良い言葉が頭の中を探しても出てこない。
「特に深い意味は無いからさ、そう考え込まない。ここから見る景色をちゃんと見ておきたかっただけだからね」
―――そう、か。僕は慣れたからそんなに感慨も無いけどな。
「キミは、ね。さて、隣、失礼するよ」
―――どうぞ。ごゆるりと。
凛花に渡されたアイスココアに口をつける。
甘すぎない甘みが口中に広がり、気分が和らぐ。
同じように、隣に腰を下ろした凛花もココアを口に含む。
「ふう。甘いものはいいね。気分が和らぐよ」
―――同じこと考えてた。たまには甘いものもいいな。毎日は嫌だけど。
「そう、だね。キミとこうして寛げるのもちょっとの時間、か。感慨深いって言うのかな」
―――考えるところはいろいろあるんだけど、何て言ったらいいかわからないな。
「そうだろうね。立場が逆だったら、私もきっとそうだよ」
―――逆だったら、僕はどうするかな。
「私と同じだと思うよ。私は見ての通り、甘受してるし、そうするのが一番だと思ってるね」
―――強い、って表現すればいいのか、わからないな。
「強い弱いじゃなく、そうするべきものだと思ってるだけさ。逆だったらキミもそうするよ」
―――自信無いな・・・そう言い切れない。
「そう? 立場が変われば変わるよ。変われ、といってるつもりは無いけどね」
―――そういうものか、と納得できるもんじゃないな、それは。
「特に納得する必要なんて無いよ。キミの苦悩もわかるし。私のエゴのせいなのも謝らなきゃとは思うよ」
―――謝られる必要なんて無いよ。僕は良かったと思ってる。
「そう? それなら良かったね。私も良かったと思ってるよ」
そういう彼女の目は嘘を言っているようには見えなかった。
本心からそう思っている目。彼女の目に映っている世界はどんなものなのか。
―――他にも選択肢はあるんじゃないか? ここに来れるくらいだし・・・
「十分可能だろうけれど、そんな選択肢は無かったよ。私には選ぶような道もないし、選べてもこっちを選ぶと思う」
―――そう、か。僕にはわからない、な。
「分かろうなんて思わなくていいさ。さて、何かやろうか。白黒付けよう、勝負の、ね」
―――オッケー。負けないよ、悪いけど。
「こちらこそ」
ここまでの全体の勝敗はほぼ5分。
集中力が十分に発揮できなさそうではあったけれど、僕はとりあえず凛花と他愛ないボードゲームに精を出すことにした。
残り少ない凛花との日々を噛み締めるように。
「まさに白黒ついたってところかな。途中まで勝てないと思ったね」
―――絶対勝てると思ったのに、詰めが甘かったな。
勝てると思っての気の緩みを見事に突かれた形での敗北。
かなり悔しさが残るが仕方ない。
多少会話をしながらだったが、それを理由には出来ない。
「さて、今日はお暇しようかな。いつにも増して有意義な時間だったよ」
―――僕もそう思った。また明日、な。
「また明日、ね」
凛花を見送るのも終わりに近い。
低くは無い西日の光が、なぜかとても寂しそうに見えた。
また明日、そう言ってくれる凛花を見送るのも・・・